今年はショパンコンクールの年でした。素晴らしい演奏を聴いているうちに、ショパンについてもっと知りたいと思った方もいらっしゃると思います。今回は、ショパンとリストのお話を「少しだけ」したいと思います。
ショパンはリストと同じ時代に生きた人です。二人は1830年代にパリで出会いました。
ハンガリー出身のリストはすでに成功を収めており、ポーランド出身のショパンは才能を認められてパリで活動を開始していました。
二人はお互いを高く評価し合いました。ライバルであり、生涯の友でした。性格は真逆で、ショパンは内気で繊細、リストは社交的で自信家でした。
どんなに難しい曲も初見で弾いたリストでしたが、そんなリストが初見で弾けなかったのがショパンの練習曲です。
ヴィルトゥオーソ(達人)のリストが弾けなかった理由は、いろいろ言われていますが、それまでにない「高い芸術性」を求められた曲だったから、という説が濃厚です。しかしながら、そこはリストのこと、3週間でマスターしました。ショパンはリストに練習曲作品10を献呈しました。
リストはショパンの死後、ショパンについてこう述べています。
「ショパンはオーケストラのにぎやかな響きのことなどそっちのけで、ただ象牙の鍵盤のうえに自らの思想が表れていくのを楽しんでいた。(中略)ああ、なのに我々は、彼が繊細な筆致で生み出した作品に対して、然るべき情熱と注意をもって向き合ってこなかった!」

